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*Croquis de Paris No.320 ~ オルレアン No.2 サント・クロワ大聖堂 ~*

は〜〜、あっと言う間に一週間って経ってしまうのですね^^;
またすぐ後ほど!なんて言っていた先週の記事でしたが、結局一週間後になってしまいました。

ここのところ、なんだかんだ忙しくて、
そういう時に限って放課後いきなり「ママ、学祭のためのアフリカの洋服明日まで作れる?とか言って来る娘。
同じく翌日提出予定の仕事も控えながら、数年ぶりにミシンを引っ張りだして、お友達から借りて来た見本を参考に一気に仕上げる事午前0時すぎ、で、出来た(涙)

その後仕事を仕上げて明け方就寝。

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 ☆ 何年ぶりかのミシン。動くかな?って思ったけどちゃんと動いてくれるんだなこれが。流石は日本製。☆

翌朝、
どう?ママ頑張ったよ♪ と着てもらったら、ちょっと大きく作りすぎていたみたい。まぁとりあえずこれで今日はこれで勘弁して^^;と伝えると、娘が一言。

「今日これ持っていかなあかんかなぁ?」

へ!?!?(明日まで作れる?って言ったじゃん。持って行くって。怒)

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 ☆ そんな朝でしたが、久しぶりにいつものマルシェの八百屋さんで元気の源を買ってきました。スーパーと比べ物にならないほど新鮮 ☆

娘曰く、
借りて来た見本を(←!)翌日には学校に持って行かなければならなかった。

→でもママは見本がないと作れないっぽい。
→じゃぁ返すまでに作り終えないと。。。

答え=「明日までに作れる?」

そういう意味の言葉だったらしい。思いやっての発言だったのね;;

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 ☆ 先週の続き、ジャンヌ・ダルク通り。☆

ショックにいかる母と、恐らくはそんな予想外の母の反応にビビる娘。
この状況を読めよ〜!と言いたい。でもまだ無理か、と思ってみたり。
いやはや^^;難しいですね。

でもね。よくよく考えたら一瞬にして洋服を縫い終える事が出来た訳で。
へたすると、この私の性格では数日かけて、時間があったらあっただけ、リアルに仕上げてしまっていたかもしれないと思うとこれで良かったのかも♪ と一気に全てをやり終えて娘を送った朝は少々眠くても清々しかったのでした。

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 ☆ ようやく到着! ☆

さてさて(いっつも前置きが長いですね。笑)
写真は先週の続きのオルレアン。

ジャンヌ・ダルクの家(あれって再建されたものだったのですね。実は裏庭に当時の建物が少しだけ現存していたらしい。)でフィルムを見て、考古学博物館で少しジャンヌ像をイメージ出来たので、

いよいよ街の中心にあるサント・クロワ大聖堂に向かいましょう〜☆

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 ☆ 正面入り口のファサード。なんだか気持ちが清々しくなります。☆

ジャンヌ・ダルク通りを路面電車が走り、ちょうど大聖堂の前で曲がって行きます。電車の前に乗ってたら結構な迫力でしょうね♪
一方路面電車に慣れていない私は次々走ってくる電車に右往左往しちゃいました^^;

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 ☆ 中から着た道を振り返る ☆

それにしてもこの大聖堂。玄関に立つなり、「やばっ、ここが一番好きだわ〜!」と思わず言葉にした私。

現在のこの聖堂は再建されたもので特別古い訳でもなく、凄く特徴がある訳でもないし、他に有名な教会は沢山あるのに不思議。

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 ☆ 中はお祭りの準備で旗が飾られていました。☆

そんな時に旦那が言った一言。
「そういえば昔、ヒロイン占いとかで、munekoはジャンヌ・ダルクって言われたよね?」

そうでした^^;聖堂を前にうっすら思い出していた私。
今ネットで調べてみても、そんな十数年前に流行っていた占いなんて出てこないけど、当時そんな事言われてまんざら悪い気もしなかったっけ。(ちなみに旦那さんが誰に例えられたかは覚えていません。て、こらっ)

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 ☆ 中にはジャンヌの生涯を描いたステンドグラスがありました。聖人たちが現れて「神の声」を聴くシーン。☆

ともかく、周りの開けた景色のせいなのか、この日がジャンヌのお祭りの初日にもかかわらずとっても空いていて、しかも青空にサント・クロア大聖堂が映えていたせいなのか。
とにかく理由もなく感覚的に「好き」でした。

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 ☆ ここには最後ルーアンで死あぶりにされて19歳の短い生涯を閉じるシーンがありました。 ☆

このサント・クロワ大聖堂
元々は4世紀、ローマ帝国時代に見つかったイエス・キリストの磔刑に使われたと言われる十字架が聖地で見つかったのを期に330年頃に着手され、450年頃に出来上がったのが始まりなのですね。
(Sainte-Croix, サント・クロワ、聖十字架という名前の由来はそれなのでしょうね)

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 ☆ 北側の翼廊とモダンな薔薇窓 ☆

その後火災で焼失、再建と、当時はフランス最大の規模を誇っていたが1227年には大部分が崩壊。
崩壊ののち、残された西側のファサードと二基の塔、翼廊部分を残してゴシック様式として作り直され、百年戦争(1337-1453)の時にも聖堂に被害はなかったものの、その後のユグノーの戦争の際の1568年に火を放たれ、ほぼすべてが破壊されてしまったそうです。

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 ☆ 見えるかな?祭壇には繊細なガラスの十字架が吊り下げられていました。手前の柵も繊細で素敵。☆

ユグノー戦争が終わった1598年、ナントからの帰途に立ち寄った国王アンリ4世によって再建を約束された聖堂は、1601年から1690年までに内陣、翼廊が完成し、1739年からこれまで難を逃れて残っていたロマネスクのファサードも取り壊され、途中フランス革命による中断をはさんで1829年に、塔も含めようやく現在目にしているサント・クロワ大聖堂の完成に至った。(大変だったねぇ・・・)

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 ☆ 死後、ジャヌ崇拝を世に広めたトゥーシェ枢機卿の姿も ☆

内陣の左にあるジャンヌ・ダルクの礼拝堂。

百年戦争に参戦して勝利を収め、後のフランス国王シャルル7世の戴冠に貢献したジャンヌ。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えに(この時シャルル7世は身柄引き渡しに介入しなかったことは多くの歴史家に避難されている)最終的にはイングランドヘ引き渡され、当時イギリスの占領統治府が置かれていたルーアンで、異端判決を受けたジャンヌは1431年の5月30日、19歳という若さで火刑に処せられてその生涯を閉じることとなる。

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 ☆ 南側から♪ ☆

しかしジャンヌの死から25年後、ローマ教皇の命でジャンヌの復権裁判が行われ、その結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言され1920年にはフランスの守護聖人の一人となったのでした。。。

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 ☆ サント・クロワ大聖堂を後にして、お継ぎはお隣の美術館へお邪魔します ☆

今では西洋至上最も有名な人物の一人となったジャンヌ・ダルク。
改めて色々調べて複雑な思いと共に勉強にもなりました。
(いっつも長くなってしまいますね。ここまで読んで下さった方に感謝です。)

さぁさぁ、次回は2年前に生誕600年を迎えたジャンヌゆかりの街オルレアンをもう少しだけ♪

今度こそ(笑)
またすぐにお会いしましょう^^

A la semaine prochaine ♪
☆MUNEKO☆